2012年04月05日

禅寺のいただきます-「五観の偈(ごかんのげ)」

最近、心のこもったいただきますを広めようという「いただきますプロジェクト」というのに関わらせてもらっていたり、先日アップした記事(「いのち」を感じる屠殺ワークショップに参加してきた。)にも書いたのですが屠殺体験をするワークショップにも参加したりということで、「いただきます」についてよく考えます。

で、ずーっと前に見たお昼のドラマの中で、禅寺でこども座禅会を開催し、お坊さんが子供たちに食事をする前にとなえる「五観の偈」について説明をする場面があったのが無性に思い出されて。よく覚えてないのですが、単に「いただきます」というだけでなく長々とした解説があったような。その場面がとても印象的だったので、「五観の偈」がどういう教えだったのか、調べてみました。

まずウィキペディアで、中国から伝わったという「五観の偈」のもとの文が
一 計功多少 量彼来処 : 功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。

二 忖己コ行 全缺應供 : 己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)って供(く)に応ず。

三 防心離過 貪等為宗 : 心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。

四 正事良薬 為療形枯 : 正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。

五 為成道業 因受此食 : 成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。
出典:五観の偈 / ウィキペディア

と、とってもありがたい感じではあるのですが、これではよくわからないので、訳を探してみると、いろいろな訳がでてきました。

まず一つ目は臨済宗のお寺の法話で子供向けにわかりやすく簡略化された誓いの言葉。意訳っぽいですが、簡単な言葉で子供の心にすっと入りやすい感じですね。
『食事の五つの誓い』
 一つ、すべてのものに感謝してこの食事をいただきます。
 二つ、自分の日々の行いを反省してこの食事をいただきます。
 三つ、欲張ったり残したりしないでこの食事をいただきます。
 四つ、身体と心の健康のためにこの食事をいただきます。
 五つ、みんなが幸せになるためにこの食事をいただきます。
    合掌、いただきます。
             (山陰西教区学徒研修会資料より)
出典:食事作法 「あたりまえに感謝」/ 臨済宗妙心寺


最初のウィキペディアを紐解くとさらに詳しい解説がありました。二でなんで反省なのかというと、この食事を食べる資格があるかと省みるという意味だったのですね。三は好き嫌いはいけないよ、ということも含まれてるようですね。すっきり短い文でまとまっていてわかりやすいです。
一、この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をいたします。

二、自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうかを反省します。

三、心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、貪など三つの過ちを持たないことを誓います。

四、食とは良薬なのであり、身体をやしない、正しい健康を得るために頂くのです。

五、今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです。

「貪等」とは三種の煩悩である「貪・瞋・癡」のいわゆる「三毒」を指す。これらはそれぞれ「貪欲」「怒りや憎しみ」「無知や愚かさ」を意味し、食においては徒に美食や暴食する貪欲、心に沿わぬ食への嫌悪、食の意義や作法を弁えぬ愚昧を戒める。
出典:五観の偈 / ウィキペディア

次は曹洞宗のお坊さんのコラムで、(1)について「目の前の食べ物を生産した人々の苦労に思いを馳せ、また自分のもとへ運ばれてくるまでの経過や手間を想像し、」というところが、本当に想像できそうでいい文だなぁと思います。(3)のむさぼるというのは、つまり欲張るな、食い意地をはるな、ってことですかね。(5)はまさに仏教という感じが出てますね。
(1) 目の前の食べ物を生産した人々の苦労に思いを馳せ、また自分のもとへ運ばれてくるまでの経過や手間を想像し、無駄なく食すことが大切である。

(2) このようなありがたい食べ物を受ける資格が自分にあるのかどうか、己の行いを振り返る必要がある。

(3) 修行とは、心の汚れを清めることであり、つまりは貪瞋癡(とんじんち:貪り・怒り・愚かさ)の三毒を払いのけることである。 その3つの中でも食事に関わるのは貪(むさぼ)りなので、それを克服することが大切になる。

(4) 肉体を保持するための良薬と位置づけて、食事を頂く。

(5) 仏と同じ悟りに達するために、この食べ物を頂く。
出典:禅僧の台所〜オトナの精進料理〜 コラム(7) 食べる前に知っておきたい " 5つ " のこと/虚空山彼岸寺

最後は曹洞宗のお寺の副住職さんのお話のようなのですが、1から5までの解説がなめらかにつながっていて素敵です。「枯れた体を癒す」とか、原文の雰囲気がわかる表現でいいですね。5は良薬としての食事に癒されて元気になって「人間として正しい道を歩む」という表現も、仏教徒でなくても共感しやすくていいなと。
(前略)ではここで、次のような話を紹介させていただきます。それは、禅寺で僧侶が食事の前に唱える「五観の偈(ごかんのげ)」という言葉とその教えで、次のようなものです。

一つには、功の多少を計り、彼の来處を量る。
 (ひとつには、こうのたしょうをはかりかのらいしょをはかる)
二つには、己が徳行の全缺と忖って供に応ず。
 (ふたつには、おのれがとくぎょうのぜんけつとはかってくにおうず)
三つには、心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
 (みつには、しんをふせぎとがをはなるることはとんとうをしゅうとす)
四つには、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんがためなり。
 (よつには、まさにりょうやくをこととするはぎょうこをりょうぜんがためなり)
五つには、成道の為の故に今この食を受く。
 (いつつには、じょうどうのためのゆえにいまこのじきをうく)

この食物がどれだけの苦労や手間を労してここにあるのかをよく考え感謝し、自分が果たしてこの食を得る資格があるのかを省みて、食事に対する貪りや怒り・愚痴(三毒)を捨てて好き嫌いなくいただくこと。

そして、これは枯れた体を癒す良薬であり、この食を摂ることによって即ち人間として正しい道を歩むことを誓います、という意味なのです。食事は正しい人への道のりだと。
出典:「五観の偈(ごかんのげ)」/ 曹洞宗 奕葉山 昌伝庵  副住職の「一口法話」

宗派による違いもあるようですが、いろいろな訳を見比べてみると、なんとなく、わかったような気になりますね。わかりやすいところを拾って理解してるというか。

ちなみに、はじめに書いたドラマで、私が覚えているのは、少し立派なお坊さんのお話で、米という字は八十八という字に分解できる。これは米の種をまいて、育てて、運んで、炊いて器に盛り、と私たちのところに来るまでに八十八の人の手がかかっているということだから感謝しなさい。そんなお話で、いいお話だなと思ったのでした。

個人的に「五観の偈(ごかんのげ)」についてですが、1、3については意識していましたが、2はあまり考えたことがなかったです。でも「働かざるは食うべからず」に近いような気もしますね。4は知識としてはあったけど、食べる時には考えてなかったですね。

5の発想はまったくなしでした。5が一番理解が難しいというか、いろいろな訳を見比べると深い感じがして面白いです。自分なりに解釈すると、ありがたく食事をいただいて、体と心を元気にして、世の中が少しでもよりよくなるように自分を生かします。よりよく生きます。という誓いなのかなぁとか。

さすが禅の教えで、とっても謙虚な考え方ですよねえ。
時々思い出してみてもいいかもしれないなと思います。

posted by まる at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | フード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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